訓練、犬の訓練については、すでに、私よりもずっと適任の人びとによって書かれた、非常に多くのすぐれた本がある。
それで、この章を犬の教育にかんする論文にしようなどとは考えていない。
ただ、飼い主と犬の関係を円滑にするような、簡単にのみこめる二、三の訓練のコツについて論じてみたいと思う。
最近の多くの犬の飼い主は、命令しだいで「泥棒」を攻撃したり、大切な品物をさがしてもってきたり、なくしたものを発見したりするように訓練された動物から、おそらくはあまり恩恵をこうむっていないのではないかと思われる。
そこで、そのように利口な犬をもつ幸運な飼い主の方に伺いたい。
これまでに、あなたの相棒が何回ぐらいこうした芸当を実現する機会をもっただろうか?私自身はといえば、夜盗から犬によって救われたことはいまだかつて一度もないし、通りでなくした品物を私の犬がもってきてくれたのはただの一回で、それも、たまたま品物を探して持ってくる訓練を受けたことのない、一匹の雌犬からだったのである。
それはまったくすばらしい経験ではあった。
すでに何度も述べた友人の娘にあたるパピーがそれで、私の後について歩いていた雌犬が、突然鼻で私の足をつついて注意をうながし、私が雌犬を見おろすと、なくした革の手袋を咥えた顎を差し伸べたのである。
そのとき雌犬が何を考えていたか、私が通った後に落ちていて、私の匂いが染み込んでいる品物か本当に私のものであるという考えを、実際に雌犬がいささかなりとももっていたかどうかは、私にはわからない。
もちろん、そのことがあった後でも、私は再三手袋をなくしたが、再び雌犬がそれを見つけ出すことは決してなかったのだ。
ところで私は、「なくしたものをみつけだす」完璧な訓練をうけた犬のうちどれほどが、本当になくした品物を飼い主のところにもって帰るものなのか、疑問に思うのである。
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自分の犬の訓練を職業的な調教者にゆだねる問題についての私の意見は、述べた。
私がここで論じようと思う三つの訓練は、それ自体まったく基本的なものである。
しかし犬の飼い主のうちほとんどの人が自分の犬にものを教える手間をかけないのは、驚くばかりだ。
三つの訓練とは、すなわち 「持て」、「バスケット」、「ついてこい」である。
手はじめに犬の訓練にかんする二、三の一般的な注意を述べておこう。
まず最初に、褒美と罰の問題である。
後者のほうが前者よりも有効だと考えるのは、基本的な間違いである。
犬の訓練の多くの面では、とくに家庭での訓練では、罰の助けをかりずに教えるほうかずっとよい。
三ヵ月ぐらいの新しく手に入れた子犬を家庭で訓練する最良の方法は、家に連れてきた最初の数時間はつねに監視していて、犬が液状のものにせよ固形のものにせよ、罪の主体を生みだしそうな気配がみえたときには、すぐにはそうさせないようにするのである。
そしてできるだげ早く外へ連れていき、いつも同じ場所においてやるとよい。
犬が要求されていることをやってのけたときには、さながら現実に英雄的な行為をやり遂げたかのように賞め、愛撫してやるのである。
このように扱われた子犬は、それが何を意味するかをじきに理解し、規則的に外へ連れていってやれば、ほどなく掃除してやる必要が無くなるものだ。
最も重要なのは、罰は、悪いことをした後、できるだけ早く与えるべきだという事である。
何か悪いことをした1、2分後であっても、犬を打つことには意味がない。
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自分の悪行をはっきり意識している習慣的な犯罪者の場合にのみ、罰が遅れても何ほどか役にたつことはありうる。
もちろんこの原則には例外はある。
私の犬がたんに無知であったがために、新たに私のコレクションの仲間入りをした動物を殺した場合には、後からその死体で雄犬を打つことによってその行為か悪かったことを印象づけることができた。
このことは、あるものの状態が急激に変わったのを示してやることで、一つの行為の誤りを教えようとまで考えているわけではない。
後で述べるように、ある場合には私は、新入りの仲間を尊重する感情を犬に植えつけるために、「予防的な罰」を加えることもあった。
罰することで犬を服従させようとするのはまったく間違いだし、何かの獲物の匂いにひかれて散歩の途中に逃げだした犬を、後で打つのは同じように無意味である。
打つことは、すでに記憶の奥にある逃げだした行為について雄犬を改めさせはしないで、おそらくもどってきたことについて、それを罰と結びつけるように仕向けることだろう。
このような逃亡者を矯正する唯一の方法は、逃げだそうとしているまさにそのとき、パチンコで雄犬をめがけて何かを放つのである。
この一撃は犬を心底仰天させるにちがいないか、この青天の霹靂が自分の飼い主の手になるものであることを犬が悟らぬようにできればなおよい。
この突然の苦痛にたいして犬が完全に無防備であることは、雄犬にとってそれをいよいよもって忘れがたいものとする。
この方法には、犬を「手を恐れる」ようにはしないという付随的な利点もあるのだ。
体罰にかんするかぎりにおいて、同じ原則が犬と子どもの両者に適用できる。
それは、罪人を本当に愛している者によってのみ執行さるべきであるし、したがってその執行者は、雄犬が罪人に加える以上に苦しむことになるのである。
そして刑の段階を設定するには立派な感情と、犬についての理解が要求されるのである。
罰にたいする感じ方は、犬によってかなり変化する。

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