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山実生とは山やもみじの木の下に自然に生えているもみじの苗木のことです。 (もみじに限ったことでは有りませんが。) この山実生の苗は簡単な素材のようでも面白い育ち方をしているものです。 数ミリの太さの苗でも、場所によっては長い年月を経ているものや、石や障害物で意識的に作ろうと思えないような曲がり方をしています。 いかにも自然体のコケ順や面白い曲を持つ苗は多くの利用法があります。 自然樹形の表現に適しています。 この苗は砂に蒔いた実生苗ですが、楽しみな要素があります。 |
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大先輩・師匠としている人の書き出しです。 「雑木盆栽をやるようになって、盆栽道楽もやっと一人前」という言葉が盆栽界に昔からありました。 ところが、入門当時の私ときたら、松柏であれ、雑木であれ、手当たりしだいに手を出し、「いったい盆栽のよさがどこまでわかっているのかね」と、先輩に心配された記憶があります。 松柏盆栽は丈夫で持ち込みやすく、そうであるからこそ、また値段もある程度高く安定している長所がありますが、雑木盆栽はどんなよい木でも、一歩まちがえば、幾十年の苦労も水泡に帰す、はかないところがあります。 ですから、過去に安全性の高い松柏類がもてはやされたのも、理由のないことではありません。 しかし、松柏類にはカラマツなどのように四季の変化を楽しませてくれる落葉樹もありますが、ほとんど一年じゅうその姿を変えないものが多いので、おもしろさに欠けるという欠点があります。 その点、雑木盆栽は、春の芽出しも、赤あり、黄あり、緑あり、夏は緑葉がさわやかで、秋には黄葉あり、紅葉あり、そのまざったものありで、錦織のようなはなやかさです。 そして、黄紅葉をした葉を、こがらしに一枚、二枚と散らしたあとにあらわれてくる、古色に富んだ幹肌、繊細な小枝と、言葉や筆では表現のしようもない、自然の樹木のやさしい美しさをあらわれてくれます。 もし、あなたが純粋に樹木の美しさに魅せられたのなら、初歩のうちから、雑木盆栽にとりつかれても、まったく不思議ではないのです。 松柏のように丈夫で持ち込みやすいものほど、盆栽として価値があるとされてきたこれまでの盆栽界の価値観を、雑木を愛培されることによって是正したいものです。 しかも、一口に雑木盆栽といっても、それぞれに持ち味も、楽しみ方も違います。 あるものは芽出しに、あるものは花に、実に、紅葉に、寒樹にと、比較対照のできないくらい盆樹としての対象も違うからです。 ケヤキにはケヤキのよさがあり、モミジにはモミジでなければ味わえないよさがありで、ひと言でこれが雑木盆栽のよさだとは言い切れません。 一樹種でも多く、自分で手入れし、植え替え、芽つみを行ってください。 その樹種でなければ味わえない、独特の性質と価値とに、きっとあなたも魅せられること請け合いです。 昭和五十三年三月 記 このような、はじめ書きのある本を今も大切に教科書としています。 日本では、普段「楓」の字が使われていますが、植物学的には、槭を用います。 類似の葉形をもつ「フウ」という木の漢字が「楓」なのです。 モミジの方はカエデ属という特定のものでなく、秋になって葉が紅くなることから紅葉する樹木の中でカエデ類が代表であるのでカエデ属をモミジというようになったとされています。 植物分類上ではカエデともみじは区別はしません。 もみじは長く持ち込んで年毎に良くなる雑木盆栽の勇である。 やまもみじの替わりになる樹種は見当たらない。 小さな鉢で閉め込んでいても、木が弱ることも少なく、鉢を緩めて作りなおす必要が無い。 岩盤の土も無いような所でも水があれば、生き延びている自然樹が見られる。 樹皮が白くなり縞が出てきてなんでもない形のもみじにも年代が育てた美しさが現れる所が長所である。 このような、50年先を見通した木作りを行う事も楽しみの一つであろう。 50年先には忌み枝という考えは無いかもしれない。 時代が独創に変えてくれるという、楽しみや希望がある。 目の前のもみじに50年間でどんなストーリーが書けるのか。 わたしは、文字で書いて見たい。 |
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